家でも土地でも、手に入れようと思って手に入れられるものではない。
縁なのだ。そしてそれは、相思相愛とでも言うのだろうか、特に古い歴史のある家は、人が家を選ぶように、家も人を選んでいるような気がしてならない。
私たち夫婦は、縁あって一軒の移築(築250年の茅葺きの家)を含め、6軒の古民家を改修してきた。いくつかの修復工事を経験して来た中で、必ず気付かされることがある。それは、家と私の立場がある時点で必ず逆転することである。
阿部家を手に入れたのは、平成10年のことだった。築230年という古さと、長年空き家になって放置されていたこともあって、その傷み具合は手のつけようもないほどだった。とりあえずは、雨漏りがひどくなって抜け落ちた屋根部分をトタンで覆い、応急処置をした。
平成13年、修復工事に着手するまで、今、正に崩れんばかりの土壁に向かって、「もう少し頑張ってね。必ず助けてあげるから」と、励ますように声をかけたものだった。
そして、いよいよ着工した折には、「良く頑張ったね。ちゃんと直してあげるからね」と、雨漏りで崩れ落ちた天井に向かって声をかけた。その時点で私は「〜してあげる」という立場にいた。それはまるで重病人を看病するかのような気持ちだった。
しかし、新しい木舞竹(こまいだけ)が組まれて土壁が塗られる頃、立場は逆転する。修繕が進むにつれて、家は品格を取り戻し、ある種の風格さえも醸し出すようになった。
私は、なんておこがましい気持ちでいたんだろう。この家は、私に心の落ち着き、安心を与えてくれている。何か外で危険な事があった時、心の動揺があった時、きっとこの家に逃げ込むに違いない。この家は、私にとってシェルター的役割さえもしてくれる事に気付かされる。
そして、完成すると更に家の力というものを実感する事になる。光、音、臭い・・・家の中では、私の五感すべてが敏感に反応する。格子戸と障子が重なり合った向こうからの朝の光が差すと、そこにはまるで1枚の絵画のような美しさが浮かび出る。たたき土間のひんやり感は、凛とした緊張感が、足の裏から伝わってくる。くどからもれるけむりの臭いが、遠い記憶を呼び戻す時、心が震えるのを覚える。古びた土蔵の土壁に、蔵の中から出てきた籠の類をあるだけ掛けてみた。にわかにそこはギャラリーに変身した。満足、満足。
日々の暮らしの中で、こんな感動を得るようになるとは、あの荒屋だったこの家からは想像だにしなかった。
私はこの家に暮らすことで、石見の生活文化の豊かさや美しさを実感することになり、ひいては日本人としてのアイデンティティが呼び起こされた。そしてこのことは、この地で暮らすことの誇りとなっていった。
今、私は阿部家に住まわせていただいていることに、心から感謝している。
2007年11月28日
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田川の石灰山
Excerpt: 田川には石灰の山がある。 白い石の山である。 田川の黒い石、石炭はあまりにも有...
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家の佇まいから発散される不思議な力と美しさは何なのだろうと思いました。
それが文化や伝統の力と言う物なのでしょうか、ドイツで古民家の集落を見たときにも阿部家の事を思い出しました。